書く練習

メモのような日記

なんでもないような事(しゃぶしゃぶ、流行語大賞、必要不可欠)

 大学生になってから僕はテレビを見ていない。東京の僕の部屋にはテレビがない。一人暮らしを始めるときに買わなかったからだ。一緒に家具を揃えに行った母は執拗にテレビは良いのか、と訊いてきたが、観てる番組もないし、いつでもスマホで好きな動画が見れる時代にそんなものは必要ないと思ったのだった。周りの友達にもそういう奴が多く、最近は若者のテレビ離れと揶揄されているらしい。余計なお世話だ。

 だけど、ときどき不便なこともある。先日、久しぶりに実家に帰ったとき、「お母さん、今日ご飯なに?」と何気なく尋ねると、「今晩はしゃぶしゃぶよ」と言いながら母は謎の踊りを踊り始めた。呆気にとられる僕を見て、「そうか、テレビないから知らないか」と母は困ったような顔をした。聞けば、それは最近流行っている芸人のネタで、流行語大賞にもノミネートされるくらい有名だった。

 娯楽のない田舎の主婦には必要不可欠なのよ、そう言う母の表情はどこか寂し気だった。テレビを見る世代と見ない世代でのすれ違い。何でもないような事、それらを共有することで同じ時間を過ごせていると思えるのかもしれない。

 

 

 

なんだか評論みたくなった。小説になってないな。

堅苦しい文体になる。 

健康、くじら、小麦粉

健康診断の結果が返ってきた。

入社5年目にして肝臓の数値が部長並みだ。

一週間禁酒したところで普段の不摂生は隠せない。

俺もすっかりアラサーになったことだし、

そろそろ節制した方がいいのかもしれない。

たしか、こないだYOUTUBEで観た北極くじらの寿命は200年だった。

長く生きれれば幸せ、とは思っていないが、流石にまだ死にたくはない。

とりあえず、飲酒を控える。ついでに炭水化物も控えることにしよう。

そうだ、愛しの彼女にご飯小麦粉警察になってもらおう。

と、言ってもそんな彼女はどこにも存在しないのだけれど。

フォートナイトを始めてから練習すること

上達することについてよく考えるようになった。

いかに早く効率良く上手くなるか、

この考え方は小説や文章にも活かせる気がする。

 

まず、型を身に着ける。

これは柔道や空手にも通ずる王道的なセオリーだ。

なんだかわからないけれどやれと言われたからやる。

最初はそれでいいのかもしれない。

フォートナイトで言えば、ボックスを早くつくれるようになるとかエイムを良くする。編集を早くするとか、階段壁床を早くするとかそういうことになるんだけれど。

 

ある一定以上の早さでできるようにならなければ次のステップには進めない。

 

それから、複数のサンプルに触れることも大切で、どういった戦い方が強いのか、知るということが重要になってくる。初心者はまず勝つイメージが自分のなかにない。どんな時にどんなパターンで勝てるのか知ることが上手くなる条件な気がする。

そして、実戦。

結局いくらクリエイティブで練習しても実戦にいかないと上手くはならない。多くのプロが動画で口を揃えて言っていることだ。クリエは軽いと言っていたが、ストレスがかかる状態におかないと上達しないということなのだろう。

 

これらは小説にどうやって活かせるだろうか、

語彙、リズム、文章の流れ、これらは小説の基礎と言えるかもしれない。

辞書や辞典を読むこと、自分の好きな作品を写経すること、毎日少しこれらをすることで基礎スキルがアップするはずだ。

 

 

 

 

飽き性、メタバースは世代を越える

飽き性について

向上心のないやつは馬鹿だ

たしか、夏目漱石のこころに出てきたセリフだ

飽き性にも種類がある

ということに気づいた

向上心のある飽き性は

自分の興味に従って

いろいろなもの、ことに挑戦していく

対して、向上心のない飽き性は

何もやらない

ゲームとかだらだらやってる←イメージ

飽き性はよくないという場合にはこの区別が割と重要な気がした

 

 

メタバースについて

若い人も老人も

一緒の空間に

自分の思い描く姿で参加できるメタバース空間では

歳の差は関係ない

パリピ公明」というアニメを見て

思った、諸葛孔明が若い日の自分に戻っているという設定で

歳の離れた友達を作ることが難しい現代、日本の男性にとっては良い材料になるのでは?

 

 

世の中を知りたい、NFT、3D、ゲーム、

世の中を知りたいの続き

マーケティング、人気商品、若者論

これらは世の中、世界を理解したいという気持ちから始まったと書いた、

人の行動を理解したい、

それらはずべて人口的なことだ

理系の人々も世界の真理を求めて研究している

それは例えば、物理とか

変えられない世界のルールみたいなもの

理系も文系も世界を理解したいと思っているけれど

根本が少し違うということに気づいた

 

 

NFT

知らないうちにイケハヤがNFTアーティストになっていた

自分で作ったキャラを売っていた。びっくり

NFTには興味があったので調べていた

NFTの販売は想像していたよりもめんどくさく大変だ

出品するだけでも

ガス代という料金がかかる、だいたい1万円とか

手続きもめんどい

また、売れないということも言われている

世界的なマーケットであるオープンシーでさえ

ユーザー数が50万に満たない

そのなかでまともに売れているアーティストは一握りだろう

僕も何か作ってアップしようと思ったがなかなか難しそうだ

 

NFTを販売するということは

アーティストのコミュニティを作るようなものらしい

SNSも放置気味だし、すげーめんどい

イケハヤでさえ、日本人向けでやっている

海外に向けて作れば売れそうとか思ったけど、難しいようだ

 

 

3D画像についても調べた

どうせならこれから流行りそうな

メタバース用に3Dのキャラを作ってNFTで売ろうかと考え、いろいろ調べてみた。

ブレンダーというソフトを使えば無料でできそう

だが、こんなスキル、小学生でも得られそうだ、勉強する意味はあるのだろうか

一番どうしたもんかと思ったのは

3D画像を書きだすすべがないこと

普通の2Dで披露してもあまり感動がない気が

どうしたもんか

 

ゲームエンジンについても調べた

やはり最近の関心1番はメタバース

一番進んでる会社、エピックゲームの作ったアンリアルエンジンというゲームエンジンについて興味が沸いてきた。

映像が想像以上に綺麗だ。

もはやもう一つの世界が構築されている。

メタバースに現実味が帯びてきた。

 

www.youtube.com

www.youtube.com

 

 

知り合いの社長がアンリアルエンジン使えたらめちゃ稼げると言っていたのだ。

調べてみてわかったのは、パソコンのスペックが足りないということだった。

メモリが32G、容量は1テラは欲しそう。

PC買いなおしたら入れよう。

そのためにはPC貯金だわ

 

あと、家に絵を飾りたい

坂口恭平の家みたいに

キャンバスで絵を描きたい

飾りたい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嫌いな人は嫌いでいい、内省の敵は思ったことそのまま口にする人

嫌いな人について

接客をしていると

ああ、こいつ苦手やな

という客が必ずいる

そういうときに無意識に流して接客するので

声が小さくなる

今日は目の前で、何言ってるかわかんねえ的なことを

連れの女に言っていた男がいた

自分の態度が悪いとのことだった

おそらく無意識に嫌な態度をとっていたのだろう

で、何を思ったかと言うと、

嫌な態度をとっておいた方がお互いにとっていいんじゃないか

ということ、生存論的な観点からし

仮に誰にでも等しく丁寧な接客する人がいたとして

その人は明らかに自分がすごく苦手な客に対しても無理して良い接客をするのだろう

まあ、万人に好かれることはできないから、それでも嫌だと感じる客もいるかもしれないが

嫌な態度をとられたら、その客はもう来たくないと思うだろう

そうすれば、こちらも嫌なやつに会うことがなくなるのでハッピーだ

ウィンウィンだ

別に致命的な接客をしているわけではないから

訴えられたりしない限り、まあいいんじゃないか

所詮給料制で働いている人は

客が一人減ろうが給料は変わらないのだから、いいだろ

 

 

内省の敵は外省

嫌な客について考えていたら

自分が嫌いな人間がだんだん明確になってきたのでメモする

とりあえず、いきっている客は嫌い、ヤンキーとか

自分が思ったことをそのまま口に出すような人が苦手なのだ

これって内省の反対だ

自分はストレングスファインダーで内省の才能の持ち主だったので

自分とは真逆の特性を持った人間ということだ

なんだか妙に納得してしまう

 

 

 

 

世の中を知ること、ジェンダー論、黒いランドセル、他人の記憶とパクリ

ラジオが面白い訳

ITベンチャーで働いている女性のポッドキャストを最近よく聞いている

意識高い経営者の話や本はよく読んでいたが、実際に働いている

社員の声が聴けるのが面白いと思って聞いていた。なかなか女性の意見は聞けないので参考になる。なんの参考なのかわからないが

商品の紹介やコンテンツの分析をしているのが面白かったのだが、自分がなぜ興味があるのかわからなかった。

今日ふと聴いていて

この現代、資本主義の日本において、世の中にあるものほとんどが商品だからだと気づいた。マルクスに言わせれば、資本主義においてはほとんどのものが商品になる。貨幣ですら交換可能な商品らしい。

思えば、大学生の頃に小説なるものを書いてみようと浅はかなことを考えていたのだが、

村上龍のコインロッカーベイビーズや愛と幻想のファシズムを読んで無理だと悟った

。あとがきで数々の勉強会や講演に参加し、識者にインタビューなどして経済を勉強したという記述があり、震えた思い出がある。

世の中のことを知らなければ、自分も誰かを感動させるものは書けないと思ったのだった。

バリバリ働いている女性が興味のあるコンテンツを知ることや、分析を聴く機会がなかったので、より世の中の知らない側面に触れていたということだ。無意識に面白いと思っていた、いつの間にか

 

ジェンダー

ラジオの続きで。

MCの女性は小学生の頃に黒いランドセルで学校に通っていたらしい

なかなかの強者だ

人からなんで黒なのと聴かれて、人と違うことはこんなにも生きにくいのか、と小学生ながらに悟ったと語っていたのが印象的だった。

思えば、自分は小学生の頃は持ち物が他の子と微妙に違うことが嫌だった。同級生はどこで示しあわせていたのかみんな同じ持ち物を持っていて、うちの親はどこか独自に仕入れていたので必ず違う会社の製品だった。自分から均一化を求めるよな子供だった。

だが、聞けば、保育園に通っている頃は他人と全く相いれない性格の子供だったらしい。

散歩に行けば人と違う方向に行きたいと言うし、推しの先生以外には抱っこされたくないよな子供だったらしい。

不思議なものだ。

 

PS.

他人の経験を自分の小説などの作品に使うことは

パクリなのだろうか。許可はとればいいだろうが。

イラストのトレパク問題のように叩かれるということもあるかもしれない。

それを題材にして作品を書けそうだ。